リノベーションからの脱線


石川県金沢市に1894年から続く個人宅の庭がある。元は住まいを構えるために作られたものだが、何代にも渡り当初のままの姿を維持し続けたことで、希少な地域の動植物が生息するビオトープと化している。近年になって文化財や生態系の観点から評価され、行政や研究者、庭師やボランティアをはじめとした市民の手によって定期的に清掃や修復が施されるようになり、2013年には千田家庭園という名称が与えられた。
120年以上前に作られたこの庭は、長い年月をかけて人間が季節を楽しむための空間から動植物を動的に保存する容れ物へと移り変わったことで、より多くの人間が関わる公共的な役割を獲得している。つまり、庭を所有する主体が所有者から動植物や地域住民へとスライドしていったことで、多層的な価値が見出されていったのだ。

千田家庭園

地方都市が抱える不動産ストックの大部分は所有者が変わるたびに大規模な改修が繰り返された挙句、真新しい建物に建て替わるか駐車場になってしまうことが多い。千田家庭園のように長期的な時間を積み上げることなく、ただただ消費のループに加担して延命措置的にリノベーションを繰り返しているばかりでは、長い年月建ち続ける建築の時間に対して「使ってないよりはまだ良い」という短期的な未来像しか描けず、建築の経年変化も老朽化としてしか捉えることができない。そして、一度建てられた建築を待ち構えている未来に建替えか駐車場しか選択肢がないのであれば、それほど悲しいことはない。



そもそも建築は人間を守るシェルターである以前に、地球に生える突起物である。空に向かって伸びる突起物は地面に影を落とし、水の流れや土の密度、動植物の行動範囲を変える。仮に人間が所有する内部空間である建築を、地球を取り巻く自然環境や動植物にとっての外部空間の連続として捉えることで、人間中心の世界から建築を脱線させられないだろうか。千田家庭園が主体をスライドさせたように、建築を消費のサイクルから少し横にずらすことができれば、ありえたかもしれない別の未来像を描けるかもしれない。

問屋町スタジオの入居する長屋

今回改修をした問屋町スタジオは、NPO団体が運営する現代美術作家のためのオルタナティブスペースだ。金沢市問屋町は1966年に問屋組合によって造られたロジスティクスの町で、高度経済成長の波に乗り急速に発展したものの、物流業界が大きく変化した90年代以降には空室が増え、現在は不動産ストックの活用が新たな話題となっている。同様の目的で2010年に開設された問屋町スタジオはテンポラリーに活気を維持し続けているが、建築としては既存不適格であるため増改築や建替えが難しく、老朽化した現状のまま賃貸に出すことで何とか維持されている現状からは、出口の見えない息苦しさを感じた。

スタジオ背面の駐車場
スタジオ背面の増築棟
月に一度行われているオープンスタジオの様子

そんなある日スタジオに関わる作家から表玄関の引戸の話を聞いた。地域に開くという目的を持つ施設でありながら、表玄関に使われていた引戸の調子が悪く、主な出入り口が裏口となっていたそうだ。ある日彼が近所の建具屋を呼び戸車に油を差してもらったところ、引戸の動きがスムーズになり、それ以来ショーウィンドウ化していたスタジオの表玄関は、地域に開かれた玄関口としてきちんと使われ始めたそうだ。
また別の日には滞在する作家からスタジオ背面の庭に生える2本の高木の話を聞いた。1本は以前の入居者が育てていたもので、もう1本は鳥が運んできた種から育ったものらしい。8mほどに育った2本の高木が室内に木漏れ日を落とす日中は、滞在作家にとって貴重な時間となっているそうだ。
他にも作家や地域住人から、問屋町には職人がたくさんいて、各々に特殊な技術や材料を抱えているということや、造成される以前は湿地帯の耕作地で、アスファルトの下には湿潤な土が埋まっているということ、交通量が減った道路には大きな倉庫や工場の日影線を描くように苔が繁殖していることや、空き地化した駐車場には色とりどりの植物が自生していることなど、均質に見えたロジスティクスの町には多彩な主体が潜んでいるということを教えてもらった。
こうして話をする内に、戸車に油をさすとか、鳥が種を落とすといった些細な出来事の積み重ねによって、この場所が今までとは違う別の姿へと変わりはじめているということに気が付いた。そしてこの状況は、千田家庭園が公共的な価値を見出される前段階で、ビオトープ化していった状況に重なって見えた。

スタジオの表玄関
スタジオの庭にある2本の高木

スタジオからは、滞在作家が屋外での作業や展示を企画できるよう駐車場に屋根を架けて欲しいと依頼されたが、これ以上内部空間を増やすよりも、別の姿へと変わりはじめている現在の状況を加速させることの方が、この場所にとって健全な流れであるように感じた。そこで今一度使われていない物や空間を整理しながら、大掛かりな掃除をすることに決めた。
掃除をはじめる前にあらかじめ決めていたことは、高木の生える庭の横にあった増築棟の一階部分の外壁を撤去することだけである。外壁を撤去すると、これまで物置と化していた屋内の床に木漏れ日がざっと流れ込んだ。代わりに雨水が大量に入り込むようになったので、土間の外周に溝を切って、流れ込む雨水をコンクリート下の地面に浸透させた。溝には付近の雑草を移植して、土が流れ出ないように踏みしめた。劣化によりボコボコとしていた土間床は、木漏れ日のなか寝転べるよう表面を削り取った。グラインダーで研磨をしていると近所の職人に声を掛けられ、ポリッシャーで磨き上げてくれた。あっという間に育った雑草にはカエルや昆虫が住み始め、ツルツルに磨かれたコンクリートの床は草原に敷かれたレジャーシートのように見え始めた。
こうして外壁の撤去からはじまる連詩のように、この場所に埋もれていた複数の主体にひとつずつ新しい役割を与え、ロジスティクスの町の片隅を人や動植物の居場所へとスライドさせていった。





問屋町の大掃除で試みたのは、リノベーションが指向しやすい活用や再生といった人間のための消費サイクルから建築を脱線させることである。建築を自然環境や動植物にとっての外部空間として読み替え、人や自動車、設備機器や動植物が等しく並ぶ世界を考えた。そして長い年月残り続ける建築に一時的であれそのような瞬間を与えることで、ありえたかもしれない別の未来像が動き始めるかもしれないと考えた。
大掃除が終わりしばらく経って、10年に渡り運営をしていたNPO団体がスタジオから離れ、美術大学が運営する地域交流施設へと転用されることが決まった。広場は当初滞在作家の屋外作業所兼展示スペースとして予定されていたが、現在は地域の人が休日に運営するカフェや、付近の幼稚園児と学生によるワークショップ会場、あるいはナイトシアターなど新たな使い方を検討し始めている。そしてその間にも雑草がすくすくと背を伸ばし続けている。




問屋町の大掃除|所在地:石川県金沢市|延床面積:50.80 m2|構造:鉄骨造|用途:広場|監修:坂本英之 中瀬康志 真鍋淳朗|庭:中瀬康志|設計監理:山本周 小林栄範|施工:夢工場 ウィルビー株式会社|写真:鈴木竜一朗|竣工:2020年3月
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